君を忘れない。

 

近所にめちゃくちゃおいしいラーメン屋さんがあって、小さい頃からよく通っていた。

 

どこのラーメン屋よりも、そこが1番美味しいと思っていたんだけど、突然そのラーメン屋さんは閉店してしまって。16歳の夏だった。

わたしの地元から 遠く離れた町に移転したようだった。なにも告知せずにいなくなってしまうなんて。

 

甘くて、少しピリッとしていて、味の濃い味噌ラーメン。一口食べただけで、気持ちが柔らかくなる半熟の煮卵。

 

あの夏から、ずっとその面影を探している。

 

有名なラーメン屋にたくさん行った。

地元はラーメンで有名な土地だから、いわゆる美味しいラーメン屋はたくさんあった。バイト終わりに通うラーメン屋という存在もできた。

だけど、ラーメンを食べるたびに、いや、ラーメンという言葉を聞くたびに、あのラーメン屋さんを思い出してしまう。

 

他のラーメン屋に行っても、あの味噌ラーメンより美味しいかな?と思いながらラーメンを待ち、ああ、違ったなあと思いながら食べる。

どこに行っても、思い出の中のあの味には敵わない。

 

22の冬。せめて、地元を出る前に 遠いけれどもいちど移転先へ行っておこう、とアクセスを調べた。また閉店していた。もう二度とあの味噌ラーメンを味わえない。

 

最後にあの味噌ラーメンを食べたのは6年前。

時として、その輪郭がぼやける。

近所にラーメン屋さんがあったこと、小さい頃から通っていたこと、その味噌ラーメンが好きだったこと。確かにハッキリと覚えている。だけれども、人は忘れる生き物で、あんなに愛した味噌ラーメンの味が舌に蘇ってこないときがある。その度に、忘れるもんか、と必死に記憶の中の味噌ラーメンを探す。

 

 

 

フードエッセイストの平野紗季子さんが言っていた。(平野さんのpodcastがお気に入り)

食事とは再現性が低く、儚いもの。

美味しい美味しいってお腹いっぱい食べても、次の日にはちゃんとお腹が空いていて、なにもかも消化されている。悲しい。

 

 

確かに私はあの頃、味噌ラーメンをお腹いっぱいに食べて、明るく朝にはちゃんとお腹を空かせていた。味噌ラーメンを食べたことなんて、ただ過ぎたことになっていた。

だけど今の私は違う。ちゃんと味噌ラーメンを食べていた日々のことを大切に覚えているし、これからも忘れることなんてない。皮肉にも、その味はぼんやりしてしまうことがあるけれど。

私と私の家族は、あのラーメン屋さんの十数年という人生(ラーメン屋生?)の一部に居ただろうか?居ても居なくても、どちらでもいいけど。

 

ただ、私の人生はこれからも長く続く(予定)。

数十年も大好きなラーメン屋さんという存在を失った人生を過ごすのは少しつらい。もうそろそろ、次の運命のラーメン屋さんを見つけたい。あの頃の私とは違う。ちゃんと大事に食べるし、ちゃんと翌日も覚えているよ。だから早く会いにきてね。

 

鼻うがい

 

私はねこちゃんと暮らしていながら、猫アレルギーだ。

 

元々鼻炎になりやすい体質だし、花粉症。昔から、うっすら鼻が詰まっているのがデフォルト。そこにねこちゃんがやってきて、鼻水もくしゃみも止まらなければ、鼻の中は信じられないくらい痒いし、目も痒くて白目がぶよぶよになってしまうという満身創痍状態。

 

店長に今日鼻声じゃない?あ、アレルギーか。って、毎出勤言われていた。

 

とはいえ、先々月くらいまでは、ねこちゃんアレルギー用の薬を飲んで症状を和らげていたので、デフォルト状態で過ごしていた。

でも薬を切らしてしまってからは病院にいくタイミングをなかなか掴めず、今日まで薬無しで生活してきた。ふと、あれ?薬なくても大丈夫かも?と先週あたりに思った。

 

しかし、ここ2.3日鼻の雲行きが怪しくなり、遂に今日鼻が爆発した。今日だけで5年分くらいのくしゃみをした。いつもなら外に出れば和らぐのに、全然和らがない。だけど病院に行く時間はないし、市販薬は効かない上に高くつく。

 

母の助言で、鼻うがいを買うことにした。

 

鼻うがい。

おっさんがするイメージだった。普段気にも留めたことがなかったので、探すのに少し手間取った。そして意外と1000円くらいした。高い。

どうせ気休め程度のものに1000円か、、、とかなり渋々買った。

だけど、人間の断面図が鼻うがいをしているパッケージデザインを見ただけで、若干鼻づまりが解消された。完全にプラシーボである。

 

柔らかいプラスチックのボトルに液体を入れて、穴が空いた蓋をつけて、鼻の穴にあてがって、ボトルをへこますと鼻の穴に液体が入ってくるシステム。それで、その液体を鼻or口から出すらしい。生理終わりがけにたまに使うプチシャワー??と同じ原理。

 

鼻に水って、プールのやつじゃん、あれめっちゃ痛いじゃん。怖いなあ怖いなあ。と怯えながらも、私は肝が据わっていることに定評がある(?)ので、さっそくチャレンジした。

 

アーーーーと言いながら洗浄すると余計なところに液が入らなくて安全らしいので、アーーーーと1人でいいながら注入した。

 

溺れたのかと思った。

 

昔、スイミングスクールに通っていた時のことを思い出した。

鼻からも口からも水。

鼻から水を吸って痛くなる可能性と隣り合わせの行為に震えた。

 

しかも、直前に男梅シートを食べたからなのか、鼻から口を通ってくる液がしょっぱい。汚い話だけど、百味ビーンズの鼻くそ味を思い出して、ヴァッてなった。

 

だけどそんな試練は一瞬。

ここしばらく感じたことのない爽快感が鼻にやってきた。鼻がスースースースーした。スースーしすぎて鼻の穴が寒かった。すごい!!!

 

液体が1回20ml必要で、それを使い切るまで行為を繰り返さなくちゃいけないのは大変だけど、この爽快感は他にないものがある。

 

こりゃ大変なことだ、と鼻うがいしながら思ったけど、めちゃくちゃスッキリする。しかも、猫ちゃんと一緒にいても鼻が痒くならない。なんならこれを書いている今も鼻が通っている。すごい...... 。

 

鼻うがいは、私が鼻を詰まらせたまま生きたかもしれない人生を少し明るくしてくれた。

 

鼻うがいマスターになろうと思う。

珈琲屋に送るラブレター

 

きっと上がる頃には胸がいっぱいになってると思うから、今のうちに。

何ヶ月も前から退職退職と退職アピールが激しくて申し訳ないけど、大学生の間ずっと続けていたバイトを辞める事があまりにも現実味がなくて、やたらアピってしまった。

その位、コーヒー屋でのバイトは私の大学生活において良くも悪くも大きな存在であり、青春でした。

 

 

バイトを始めたのは大学1年の5月。

ほぼ初めてのバイト、まだデリケートで社会をよく知らない私にとって最初の半年は地獄だった。

ひとり立ちするまでに覚えなくちゃいけないことが受験か?って位多いし、同じ学生なのに先輩は怖いし、レジは初めて来たお客さんと同じくらい何も分かっていなくて何を聞かれても答えられない、バーに立てば覚えたはずのレシピは忘れる、締め作業は次に何をすればいいのか、どうやってやるのかすぐに覚えられないし、時間内に終わらせられない、先輩に怒られる。

人に1:1でキツくものを言われたことがほぼなかった私には怒られ耐性がなく、先輩にビシビシ指導された次の日、ストレスからか、布団を出られず大学をサボった。

 

独り立ちした後も、全ての仕事がスムーズにできるようにならないし、かといって愛嬌もないからお客さんと全然お話もできない。

土日の忙しい時間に入れば、焦って何から何までぜーーーんぶ間違える。ピークの時間帯に間違えてレジの電源を落としたこともある。

レシピ、コーヒー豆、グッズ、フード、仕込み、覚えなくちゃいけないことは次から次へと出てくる。

しかもマニュアルがないから、自分の裁量で動かなくちゃいけない場面が本当〜〜〜に多い。

入って半年が過ぎる頃まで、心から入社したことを後悔していた。

出勤前の憂鬱さをよく覚えている。

今でも、出勤したくね〜〜〜とほぼ毎出勤思うけど、それは面倒くささであって、出勤すれば結局楽しいのだけど、当時の出勤したくね〜〜〜は明らかに「嫌」だったし、出勤してもやっぱり楽しくなかった。

 

だけど、どんだけ嫌で下手なことも無理矢理時間と経験を積めば慣れるらしい。

同期の女の子とシフトが被ることが多くなってきたのもあって、どんどんバイトが楽しくなってきていた。

そして、自信を持って働けるようになったかな?くらいの頃、先輩が卒業して、わたしと同期は学生でいちばんベテランになった。でもまだ入って1年も経ってないし、レベルもいちばん下。というのも、当時在籍していた学生が4年生と1年生、というアンバランスなメンバーだったから。

それから今のいままで、私と同期はずーっと学生のリーダーだった。

それがすごく不満だったこともあった。

先輩と後輩たちはそれぞれのスピードで育成されていたのに、私たちは成長を急かされているような気がした。まだ経験が浅いのに、マネージャー目指さないの?って詰められることがすごくストレスだったし、目指そうとしない自分にも欠陥があるように感じて嫌だった。

 

 

だけど、信じられないことに3年目には学生マネージャーを目指していた。あんなに嫌だったのに。考えは変わるものだね。

きっかけは後輩の育成に興味が出始めたから。だけど、本当にやりたいって確信したのはバイトとは全く関係のない就活セミナーの講演だった。そのセミナーの先生は、学生の良くない癖として「貰ってばかりで、返さない」と話していた。うわ、これ、わたしだ。と思った。

人を育てるには時間もお金もかかる。たくさんのマネージャーが私の育成に尽力してくれた中で、私は何か返せたかな?と思い返した。自身が成長することもそれに対する一つの答えだと思ったけど、でもやっぱり私は能動的にこの店に対して貢献して恩返ししていきたかった。

それと、ただの学生アルバイトにもマネージャーにチャレンジさせてくれるような、際限なく成長できるレールを敷いてくれてるので、遠慮なく乗らせてもらおうと思った。

 

だけどマネージャーを目指し始めてからは、また少し苦しい期間が始まった。マネージャーになってからも、それは続いたし、さらに苦しくなった。あまりにも無理すぎて、体調が悪いと嘘をついて当日欠勤したこともあった(ごめんなさい)。やっと慣れたのはつい最近だ。

 

 

 

やってもやっても知らないことがたくさんあって、勉強しても定期的に新たな知識を吸収しなくちゃいけなくて、このバイトは本当に底なしだ。それでもここまで続けたのは、ちょっとの意地と、楽しさと、愛着からだ。

なんだかんだ言って、わたしは自分のお店がとっても大好きで、たくさんの人と繋がれるこの仕事が好きだ。

大袈裟かもしれないけど、ここで働いていなかったら、今の自分もいないし、春からの就職先も選んでいないと思う。

 

温かい人仲間たちと温かいお客さんに囲まれて、大変なこともたくさんあったけど、実りある幸せな4年だったな。

これからも、珈琲屋の店員だった私は私の中で存在し続けるんだろうと思う。

客層のいいイオン

 

地方都市の象徴、でっかいイオン。

 

地方に住んでいるので、地元のでっかいイオンにはお世話になりまくっている。

わたしの地元は割と治安が悪くて、民度も決して良くはない。それはイオンにも反映されているような気がする。テナントやお惣菜のラインナップとか、内装とか。

 

今日は母と遠出したついでに、民度の高いイオンに寄ってみた。完全なるイメージだけど、イオンの周りに建つマンションがラグジュアリーな雰囲気を醸し出していたのであながち間違ってはいないと思う。

 

客層のいいイオンは床がピカピカで、広場にピアノが置いてあった。地元のイオンの床はそもそも絨毯だし、ピアノなんて置こうものなら輩が上に乗ってうぇ〜〜いwwwwする。

 

レストランのラインナップも全然違っていて、地元のイオンはリーズナブルなチェーンのレストランが多いのに対して、客層のいいイオンはそもそも知らないおしゃれな店が多かった(チェーンなんだろうけど)。

お寿司屋さんだけで比べてみても、地元のはしゃぶしゃぶとお寿司食べ放題の店なのに比べて、客層のいいイオンは食べ放題ではない北海道のおいしいお寿司屋さんだった。

 

お寿司に関しては、食品売り場のお寿司ですら違ってびっくりした。

地元だったら、巻き寿司バラ売りで100円〜とか、高くても1人前7.800円くらいのパック寿司なんだけど(おいしくはなさそう)、

客層のいいイオンはまずバラ売りの巻き寿司は存在してなくて、その代わりに高そうなパックに入ったつやっつやのマグロのお寿司6巻1100円とか、彩り鮮やかな手毬寿司が売られていた。めちゃくちゃマグロがつやつやしてて、今でも鮮明に思い出せる。あんなつやつやのお寿司、スーパーで見たことない。たぶん地元の人間は普段は買わないと思う。

 

イオンなのにわざわざGODIVAも入ってて、たぶん地元の人間は普段は行かないと思う。地元のイオンに入ってるドトールは無かった。

 

服屋にしても、地元はここでしか見たことないけどなっていう謎の服屋と某ファストファッションが入ってるくらいだけど、客層のいいイオンは駅のファッションビルみたいなラインナップで羨ましかった。

 

同じイオンでもこうも違うのか、と書いてるうちに再確認した。どっちがいい悪いとかではないけど、ただ、わたしは大人になったら、客層のいいイオンユーザーになりたい。

続・もっとクリエイティブな人になりたかった

 

 

バイト先の常連さんに(もう4年の付き合い)デザイナーのおじさんがいて、タイミングが合わず最近は会えてなかったんだけど、ついこないだ久々に会えた。

 

コロナだけど就職先大丈夫なの?って心配されて、大丈夫ですよ〜って答えつつ、わたし本当はクリエイティブな人間になりたかったんです、でもなれなかったんです〜って笑って話した。そしたら、なれないなんてないよって真面目に答えてくれた。いくつになってもクリエイティブな人に近づけるらしい。

 

その為にはいろんなものを見て、感じて、いいと感じるものには何故いい感じるのか考えて、引き出しを増やすといいよ、と教えてくれた。そして感じてること、思い描いてることを言葉にする力を身につけることも大事らしい。

 

それを意識して続けていったら、クリエイティブどうこうだけの話じゃなくて、人として豊かになれそうだなと思った。

 

いっとき、文学部の意義について議論されていた時期があったような気がする。わたしは文学を学ぶことがが社会に出るときに役に立つか立たないかという物差しで議論をするような人になりたくないと思った。そういうのは、人として豊かじゃない気がする。

豊かな人とは?という感じだけど。

 

文学も芝居も美術も、社会として見れば、余白の部分にある存在なのかもしれない。わたしはその余白を楽しめるような人間になりたいし、それが豊かな人間なんじゃないかって思う。わからないけど。

 

もっとクリエイティブな人間になりたかった

 

 

小中学生の頃のわたしは、よく本を読んで、よく絵を描いていた。

漫画も書いてたし、小説も書いてた。中学の時なんかはオタク趣味を拗らせて、懐かしのフォレストページとかnano?とかで素材を探してきて自分のサイトをつくってた。ただの文系の、インドアで大人しいオタク気質な女学生の趣味といえばそこまでだけど、そのなかのどれか一つでも今続けていれば、もっとクリエイティブな人になれたのかな、と何一つ続けていない今思う。

 

わたしは結構自己肯定感が高いタイプだと思う。ここに行っとけば地元で生きる分には結構いいんじゃない?的な私大に通ってて、ここでバイトしとけば割とおしゃれなんじゃない?ってとこでずっとバイトしてて、その傍らで熱く打ち込むような趣味もちゃんとありますよ〜とでも提示するみたいに芝居をしてる。就職も自分の条件に合う、かつキラキラしてそうなところに決めた。来年には東京。満足。これからも自分を高めていけるし、それを楽しめるに決まってると思ってる。別にそこまでの高みは目指してない。自分が自分を好きでいられればいいのだ、と思ってる。ただそれが揺らぐ時がある。

 

よくできたフライヤーや広告を見たとき。テレビの中で熱演する俳優を見たとき。素敵なイラストを見たとき。小説を読んだとき。漫画を読んだとき。セブンルールを見たとき。素敵な舞台美術を見たとき。粋な演出に感動したとき。

 

もっとクリエイティブな人間になりたかった。

 

後悔なのか、何かを生み出す彼らへの憧れなのかはよく分からないが、ぼんやりとそう思う。過去を思い返せば、私がそっち側の人間になってた世界線もあるような気がする。

 

でも、何かを作り出すことに関わっていた時間が多かったはずなのに、私には創造力というものがひとかけらもない。何をしても何かを真似ているような気がするし、物づくりに限らず、イベントや仕事に関するアイデアも思いつかない。そういう泉が枯渇してるタイプの人間。だから向きか不向きか聞かれれば、不向きなんだろう。クリエイティブになりたいなあ、と思った時に最後に辿り着くのはいつもここだ。だからこそまた思ってしまう、もっとクリエイティブな人間になりたかった。

 

この揺らぎを最近感じる事が多くなってきたのは、自分のファーストキャリアが決まったからに他ならない。

昔の私が思い描いてた私。デザイナー。漫画家。イラストレーター。舞台女優。

どれにもなってない。今の私も、きっと来年の私も、昔の私が思い描いていた私とは全然違う。それでもいい。問題ない。結構満足してる、ただ揺らぐというか、想像せずにはいられない。そっち側の人になってたらどうだったんだろうなあって。